第Ⅱ章

卒業論文を書いてる途中で、ちょっとつまずいたっていうお話だと思うんですけど、それってなんか 背景とか理由とかってあるんですか。
徳野
そうですね、自分自身やはりお師匠の影響がすごく強いんですけど。はい。
師匠にはやっぱり黒人史やる人間っていうのは、人の不幸で飯を食ってるんだ。と言われていまして。
はい。
徳野
差別を受けてる人たちが目の前にいるわけで。で、自分たちが論文書くっていう行為は、別にその目の前にいる人たちを救うわけじゃないわけですよね。
ある意味、 人の不幸で飯を食ってるっていう 後ろめたさを絶対忘れちゃいけないんだっていうことを、師匠からすごく教えてもらい、やっぱ自分もそれは大切に思っていた。
徳野
で、卒論書いてる途中に、果たしてこれは、自分は本当に黒人史や黒人人種っていうものを真剣に考えて卒論を書いているか。それともただ院に進みたいがために卒論書いてるのかっていうのが自分の中で分かんなくなったんですよね。
別に卒論出してそのまま大学院に進むことは簡単だけど。 ちょっと今自分がこのまま進んだら真面目に向き合えないな。と感じて。
論文を書いてる途中に、そういう決断って、とてもしづらいと思うんですよね。
徳野
どうなんでしょう。僕の場合はそんなもんか、みたいな。
あまりこう、将来を考えてなかったのかもしんないですけど。
それで、不安に思って何かを続けるよりは、 自分が納得した上で選んだ方がいいと。
意外とちょっと頑固な感じが。
徳野
うんうん。
師匠にアメリカ行けって話が出たんですけど、実際にアメリカに行って、黒人問題に実際に触れてこいってことですよね。
徳野
そうですね。そんなに本当に自分が黒人史のことや人種のことを考えられてないっていう風に不安に思ってるんだったら、自分が本当にそれを思っていないのかどうかを向こうに行ってみてみたらどう。と。
はい。
徳野
ニュアンスだとね。実際に行ってみたら、やっぱり切実なんですよ、彼らは。
で、自分自身もやっぱそれをどうにかしたいって思いがあるんだってのは、そこで再確認した。
10か月ほど、シカゴ大で下働きというか雑用しながら、ホテルで暮らしてたんです。
じゃあ、そのアメリカにいた時のちょっとお話を伺いたいんですけど。人種問題と向き合う中で、なんか印象的に残ってるエピソードとかってありますかね。
徳野
たくさんそれはあるんですけど、ちょっとプライベートなこともあって。
そこはちょっとお話しできないかな。うん。色々生々しいことも見たし、印象的なことで言えば、すごく仲良くなった黒人の男性もいて、
すい臓がんだったんですけどね。ホームレスやってて。でもすごい仲良くなって。ま、彼との対話ってのは非常に自分にとっては影響があって。
実際にアメリカに行ってどうでした。考え方とかって変わりました。
徳野
いや、変わったわけじゃないと思います。やっぱそうだったんだなっていうことを再発見したっていう。
じゃあ、20代の転機って、やっぱりアメリカ行ったっていうのがそれに当たるんですかね。
徳野
どうだろう。転機と言っても、やっぱ20代と言っても、こう10年間あるんで、 色々な転機があるとは思うんですが、20代の頭の大学生の頃の転機っていうのは。確かに、大学出てアメリカに行った頃かな。